月に願いを
その時間になると、ヴィルヘルムはいつも、綺麗な夕日が拝める小高い丘の木の下で、彼を待った。
待てども待てども、来ない日もあった。それでも、夕日が沈みきって、空に満月が輝くまで、待っていた。
今日は来てくれるだろうか。
夕日は、もう半分もその顔を隠してしまっている。
こんな時に限って、沈み行くのが早い。
心の中で、夕日に向かい、止まれ、と願った。
今日、まだ彼は姿を見せていない。だから、願った。
夕日が沈むのを見なかった、と言い訳するために、ヴィルヘルムは目をふせた。
まぶたの裏に、夕日の残像が浮かぶ。
すると、その静かな空間を割って入るように、馬のいななく声が聞こえる。
途端、心臓がとくんと跳ねた。彼だ。
早くなる心臓の鼓動をおさえながら、ゆっくりと目を開く。
「ヴィルヘルム」
その名を呼ぶ声が耳に届くと、胸にじんわりと暖かいものが広がっていくのを感じる。
今日は、逢えた。安堵でため息が零れる。
馬から下りる彼の軍服姿が、夕日にきらめく。
その軍服は、初めは黒いだけの質素なものだったはずなのに、今や金の装飾具がかちゃかちゃと音を鳴らして派手に彩っていた。
「仕事が忙しくて……。さびしかったでしょう?」
出世とともに、彼はここに姿を現す回数を減らしていた。
二人の時間が少なくなるにつれ、ヴィルヘルムは不安ばかりを覚える。
愛しくて、彼を想う時間は増えていくのに、逢えないもどかしさ。
だが、今は、想っていたばかりの彼が目の前にいる。
ヴィルヘルムは、自らその胸に飛び込んでいく。
そして極卒は、そんなヴィルヘルムを愛おしく抱きしめたのだった。
……嫉妬の目が、二人を見つめていたのも気付かずに。
「どこ行ってたんだよ」
「……お前には関係なかろう、ジャック。」
ヴィルヘルムが城に帰ると、いきなりジャックは問いかけてくる。
いつも決まった時間にヴィルヘルムが城から姿を消すのをわかっていながら、それを問うジャックに異変を感じた。
「関係なくねえだろ。上司が敵と会ってるなんて知ったら」
見られていた。不意に、心臓が早鐘のように鳴り始める。
突如、ジャックは強い力でヴィルヘルムの腕を掴んだ。指がくいこむほどの力にヴィルヘルムは驚く。
「何であいつなんだよ」
低く、呻くようにジャックは言う。
「あいつに、あんたを渡さねえ」
途端、その声が合図のように物陰から武器を構えた組織の兵士が飛び出してきた。
素早くヴィルヘルム達を隙間無く囲む。その鋭い刃は、ヴィルヘルムに向けられていた。
「上に言っといてやったぜ。あんたが逃げ出さない内にな」
*
目線の高さにある小さな窓から、夕日が沈むのを見た。
もう何度、この部屋からそれを眺めただろう。
城の一角に建つ塔の一つは、罪人を幽閉する場所に適していた。
内側から扉を開けられぬ仕組みのその部屋には、せめて手を空に伸ばせる程度の窓一つ。
外界から遮断された中で、彼を想いながら見る夕日は……つらく、苦しい。
いつしかヴィルヘルムは、月を見上げることが多くなっていた。
月には魔力があるという。そんなおとぎ話を、信じてしまいたくなっていたのかもしれない。
姿形をかえていく月を見上げながら、彼を想い、彼を願う。それは、祈りの姿に似ていた。
そしてついに、月は満ちてしまった。丸い輪郭が闇の中でその存在を強調している。
ああ、せめて今だけでも逢えないだろうか。
月の魔力を子供みたいに信じ続けて、馬鹿馬鹿しいとも思う。
だが、二度と逢えないとは思いたくない。
奇跡に近い確立だからこそ、信じたかった。
すると、不意に重々しく扉が開く音がした。
突然の来客に警戒心を抱き、魔術を放つ構えを取る。
「何故……!」
「貴方をさらいにきました」
見慣れていたはずの、黒い軍服。
懐かしくて、嬉しくて、愛おしくて。
涙が、自然と溢れ出るのを止められなかった。
「行きましょう」
彼はそう言って手を差し出す。
ためらいもせず、ヴィルヘルムは手を重ねたのだった。
侵入者に、城内は慌しい。
次々と道を塞がれるが、それは二人にとって何の障害でもない。
剣が火花を散らせ、魔術が飛び交う。
手を取り合い、互いの背中を守り、二人はただ出口へと駆けた。
「……ふざけんな、行かせるかよ!」
出口の間近、ジャックは只一人、短剣を振りかざし、炎を撒き散らす。
極卒はヴィルヘルムを庇うように、彼と対峙する。
長剣をふりかざす極卒に、ジャックは素早い動きで、短剣で宙を薙(な)ぐ。
ヴィルヘルムは、二人をただ見つめることしかできなかった。
どちらにも、傷ついて欲しくなかった。それはわがままでしかなかったが、どちらとも、自分にとって大切な人だ……。
今更、ジャックの真剣な思いを裏切って申し訳ないと思う。
だが、もう引き返せなかった。
勝敗はあっけなく決してしまった。
極卒は倒れたジャックには目にもくれず、出口へとさっさと歩いていった。
それを急いで追いかけながら、ジャックにすまない、とこぼす。
ジャックの姿を直視することができなかった。
後を振り向かず、外へ。
木陰に、彼のいつもの白い馬が待機していた。
彼は素早く馬に乗ると、ヴィルヘルムを鞍の上へと抱く。
追っ手を目の端で見やりながら、馬を走らせた。
頭上に輝く、満月が照らす道を。
「ここは……」
「もう使われていないようです」
だいぶ古びてしまった小さな教会の前で、馬を休ませる。
塗料がはがれおち、蔦が壁を覆う建物に、極卒は遠慮もなく入っていく。
慌ててヴィルヘルムもそれに続く。
外見とは裏腹に、質素な作りの礼拝堂はまだ朽ちてはいなかった。
美しいステンドグラスの向こうに、月がうっすらと見える。
極卒は十字架の下で、ヴィルヘルムを待っていた。
そこまでを歩くのが、何だか気恥ずかしい。
色あせてしまった赤い絨毯の終わりで、極卒は優しい表情で迎える。
「ヴィルヘルム」
いつになく真剣な声が降る。
「僕は、貴方を僕のものにする。……そして二人で、遠くへ行きましょう。二人で、ずっと一緒に暮らしましょう」
その真剣なまなざしに、断れる訳がなかった。
もう、ヴィルヘルムの心は決まっていた。
「愛している……」
「僕もです」
互いの視線が…絡む。
鼓動が早くなっていくのを感じた。
お互いの距離が近づいていく。
ゆっくりと目を閉じた。
柔らかい唇の感触を受ける。
極卒は、何度も角度を変えて口付けてきた。
愛しさを込めて、何度も。
……まるで夢を見ているようだった。
許される恋ではなかった。だから、いつかは諦めると思っていたはずだった。
それでも、ずっと想っていた。逢いたかった。
敵である極卒に愛を誓うこの口付けはヴィルヘルムにとって裏切りを意味する。
それでも構わなかった。
彼を愛する事が許されるのなら、裏切りなど痛みも無い。
叶わないと思っていた願いを、諦めずに済んだのだから。
長く、そして熱いキスだった。
ゆっくりとそれは離れていく。
お互い見つめあったまま。
今度は奪うように口付けられる。
激しく、しかし、甘いキスだった。
これが夢ならば、どうか、覚めないでほしい。
おとぎ話ならば、どうか、終わりを告げないで。
愛を誓う口付けの中、月明かりが差し込む教会で、そう願うのだった。
―――――
あとがき
おおお何か甘々になって恥ずかしいですひぃぃ><
お目汚しすみませんでした!
最後のシーンは結婚しkゲフンゲフンな感じですが、
別に結婚しちゃっても良いんじゃない?とか思ってる自分がいます。
もうラブラブなら何でもいいよ…←
07/10/11
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