月物語




見覚えの在るその髪の色が、そこに在った。

今日も変わらぬ彼の姿を見て、極卒は心が満たされた気分になる。



だが、彼の表情は、重く影っていた。

彼の唇が、静かに動く。



―――あなたに会えてよかった。

さようなら―――



そう聞こえた気がして、眠っていた頭を無理矢理覚醒させる。



「ヴィル……!?」



名を呼んでも、反応はない。

目覚めてはじめて、それが夢であったのか、と自身を納得させる。

しかしそれは、夢のようで、だが妙にはっきりしていた。

不安が、胸をよぎる。



仮眠を取るつもりで寝たのが、いつのまにか夜に近い夕刻になっていたようだ。

薄暗くなってきた城内を、彼の姿を求めて歩く。



だが、書斎、寝室、図書室、食堂、庭園、心当たりを辿っても、彼の姿は無かった。



いつもなら、そのどこかに必ずいる時間帯なのに。

不安が更に募っていく。



「ヴィルヘルム……」



名を呼んでみても、やはり返事はない。

そして、今度は自分の記憶を必死で辿る。

彼の今日の予定。最後にいた場所。最後に見た彼の様子。

どこが変だったか、思い出せない。



当たり前すぎて、忘れてしまっていた。

彼の存在が日常で、急にそれが崩れるなんて、思ってもみなかった。



窓から外を見やれば、もう満月が空に上っている。



―――そうだ、月……



月を見るのが好きだ、と言っていた彼の言葉を思い出す。

心当たりを一つ見つけた瞬間、彼は走り出していた。



城の一角にある塔は、唯一の屋上がある。

そこから眺めるとまるで手の届くような位置に、月は在るのだ。



階段を、段飛ばしで駆け上がり、その扉を開く。

そして広くすぎる空間に、ぽつんと一つの人影を見出す。

月を眺めているその人物を見たら、安堵でため息がもれた。

動揺していたのを知られたくなくて、呼吸を整えながら、ゆっくりと彼に近づく。



「ヴィル、やっと見つけた」



彼は、その声にわずかに振り向くと、また月へと視線を移した。

だが、その瞬間に見たものを、見逃す事ができなかった。



「……泣いているのですか?」



月に照らされる横顔に、涙の跡を見た。

だが、その姿が、一瞬風景に溶けるように消えた。

必死で目を凝らす。するとまた、彼の姿が現れる。

彼は、実体を留める事ができなくなっていた。

身体は透けて、その先にある空が薄く見える。



「……極卒、すまない」



そして彼は言った。

魔力が、戻らなくなり、実体を留める事が困難になった、と。

このまま魔力が戻らなければ、そのまま消滅してしまう、と。



「……私は……怖かった……」



―――こうなってしまった自分を、拒絶されるのが、怖かったのだ。

急に消えてしまう自分を。薄情な自分を。触れる事さえも叶わない自分を。

もう自分では無くなってしまう自分を。



「……貴方は、貴方ではありませんか。どんな姿だろうと、貴方である事実に変わりはありません。僕は、貴方を愛したのですから。」



そっ、と極卒はヴィルヘルムの頬に触れる。

まだ、そこには触った感触があった。

消えてしまわないうちに……

彼の顔を、両手で包み込む。

そして、瞳を閉じて顔を近づけ……

唇が、重なった。

柔らかい、唇の感触を、確かに感じている。

時折、それは空気に触れるようだったが、それでも離そうとはしなかった。

永くて、甘い、甘いキスだった。

静かにそれは離れていく。

目を開けば、彼の頬には涙を伝った跡が。

それを、やさしく指で拭ってやる。



「……極卒」



彼は静かに言う。



「……このまま消えたくない」



彼の目に涙が、溢れ出している。

それは、また、涙の跡を辿り、地に落ちた。



「私だって、愛しているから……!」



溢れて止まらない涙を拭おうとしている彼を、抱き寄せてやる。

暖かい体温を、そこに確かに存在している事実を、もう二度と、離さないように。

強く、強く抱きしめた。



「消えたくない……!」



その声は切なく響いた。

途端、青白い光が、胸元から発せられる。

何事かと、腕の力を緩め、その光源を確認した。

それは、彼の首からかかる魔石だった。



「魔力が……戻った」



透けていた彼の身体が、現実味を帯び始める。

そこには確かに、質感を持った彼が、存在していた。

彼は、信じられない様子で、自分自身を確認する。

そして、喜びの表情を浮かべ、彼は胸に飛び込んでくる。



「もう、離しませんからね」



強く抱きしめながら、彼の耳元で囁く。



「ああ、離すな……」



頭上には星空。輝きを放つ月。

美しい景観の中で彼を再び手に入れた喜びを噛み締め、目を閉じ、彼の体温を感じた。





……もう二度と、離さない。

そう、月に誓って。












―――――


あとがき


携帯サイトにて、鏡月杏奈様へ捧げました。

切な甘く…なっているのでしょうか?(おい

そして何だかヴィルが乙女な気がするのです…
いいや気のせいだきっと!(自己暗示







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