また逢いましょう




静かだ。

その静けさが恐ろしいと、ヴィルヘルムは思った。



深く入り組んだ構造のこの建物は、いくら事前に地図を見ていたとはいえ、簡単に目的の場所まで探れるようになっていない。

おそらく、彼のような暗殺者など、初めて訪れる者が迷うような設計をしたであろう。

先程から、無機質な白い廊下、目立った装飾のない壁、同じような扉が続いている。

完璧に地図を頭に入れた彼でさえ、迷っていると錯覚してしまいそうになる。



彼は焦っていた。



この軍に所属しているわけでもない侵入者が、軍服を着ているわけでもなく、かといって隠れるわけでもなく、廊下を歩いている。

しかし、この迷宮の廊下には、身を隠すような場所はない。軍服が用意されている小部屋もなければ、目的地の位置も定かではない。今、誰かとすれ違うだけで、事は惨事になってしまう。

失敗は許されぬ任務なだけに、彼は珍しく焦りを覚えざるを得なかった。



警戒しながら進んでいると、不意に背後からドアの開閉する音が聞こえた。危険を感じ、ヴィルヘルムは咄嗟(とっさ)に身構えようとしたが、遅い。

魔力を放出しようとしていた右手を捕まれ、ヴィルヘルムはその力に抗えず、そのまま部屋の中へと引きずり込まれる。

部屋の扉が閉まった後、彼は右足に重心を置き、体勢を整え、その人物に魔術を浴びせようと右手に魔力を集めた。

その人物は、ヴィルヘルムが魔術を発動させる前に、サーベルを彼に向けていた。その目は鋭く、ヴィルヘルムを捕らえている。

ヴィルヘルムは下手に動けないであろう事を察知した。



「どこの迷いネズミでしょうかね・・・・・・わが軍の要塞に侵入を許してしまうとは」



黒髪に黒い軍服のその人物は、笑みを浮かべながら言う。

ヴィルヘルムは彼を睨みつけると、ざっと部屋の中を見渡した。

そこは書斎のようであった。

壁一面本棚で埋め尽くされ、床にも本が溢れている。

窓に近い広い机の上には、いくつもの書類がばらついている。

ヴィルヘルムの助けとなるものはないようだ。

だが、それは相手とて同じであろう。

ヴィルヘルムは魔力を抑え、言葉を選んだ。



「貴様には用はない。邪魔をするなら消させてもらうが」

「僕は貴様という名前ではありません。極卒君です」



質問に答えない極卒に内心苛立ちを覚える。

相変わらずの笑顔で極卒は言った。



「ああ・・・・・・そういえば警戒するよう言われていましたねえ。どこかの暗殺組織が狙っているって。貴方の事でしたか」

「だとしたら何だ」

「対術者用にあれを取り寄せておいてよかった」



極卒は指をパチンと鳴らした。

同時に、部屋の四方から術式の魔力が溢れるのを確認する。

術は、ヴィルヘルムの魔力を圧した。同時に、ヴィルヘルムに過大な重圧がのしかかり、彼は不覚にも膝を折る。



「さすが・・・・・・我が軍の兵器もなかなか使えますね。先程までの威勢はどうしたのですか、暗殺者さん」

「・・・・・・!」



重圧に押し潰され、息苦しさを感じ、彼は言葉を紡ぐこともままならなかった。

膝に重心を寄せても、それでも術式は彼を圧迫する。

やむを得ず、彼は、首にかかる魔石の力を借りた。

一時的だが、魔力で術式を相殺する。その瞬間を狙い、部屋の一角にあった術式の媒体に魔術を放った。媒体は音を立てて崩れる。

だが、なお術式は機能していた。しかし、先程に比べると重圧が軽くなった事は間違いない。

ヴィルヘルムは立ちあがる。

だがすぐに極卒に取り押さえられた。華奢な腕からは想像もできない力で、ヴィルヘルムは床に押し倒される。

喉元には、サーベルの刃先が光っていた。



「術式にここまで抵抗できるとは、面白い。気に入りました」



極卒はそう言って笑みを浮かべると、そのまま顔を近づけ、唇を重ねた。

その行為に驚いたヴィルヘルムは極卒を引き離そうとする。だが、力では敵わないことを思い知<らされる。



「決めました。貴方を僕のものにします」

「何を勝手な事を・・・・・・!」

「もう決めたんです」



そう言うと彼は、今度は奪うようにヴィルヘルムに口付けてきた。

唇が強く吸われ、息苦しさを感じ、耐え切れずに唇を開くと、彼の舌がそれを待っていたかのように素早くヴィルヘルムも口の中に入り込む。抵抗もできぬまま、ヴィルヘルムは屈辱に耐えた。

永遠と思われた責め苦の後、どちらの物かわからない唾液が糸を引いて、互いの唇は離れた。



愉快そうに見下ろす極卒を、ヴィルヘルムは強く睨みつける。

睨みつけられた極卒は肩をすくめ、ヴィルヘルムに問う。



「僕が嫌いですか」

「無論だ」

「じゃあ、好きになってくれるまで待ちましょう」



部屋の外で、複数の人が走る音がした。

いくつかが通り過ぎた音を聞いた後、ある二つの足音が部屋の前に止まり、そして扉を開く。



「極卒様!」

「ご無事ですか」



ヴィルヘルムを抑えたまま、極卒はその足音の主に言う。



「遅いです。もし僕がやられていたらどうするのですか。まあ、それはありえませんが」

「はっ、申し訳ありません」

「謝る事なら猿でもできます。・・・・・・この人を監獄に入れてやりなさい」



極卒は、その二人に指示すると、手に持つサーベルを、ヴィルヘルムに突き立てた。

生暖かい血が溢れ出し、それが衣服を、床を、赤に染め上げていく。



「こうすると抵抗できないでしょう?」



極卒は手に付着した血を舐め、満足そうにヴィルヘルムを見下ろした。

彼は激痛に耐えながら遠のく意識の中、その表情を睨みつけるので精一杯であった。







冷たく、暗い監獄には、月の光でさえ届かない。

高く、手の届くことの無い天窓からは、冷たい床に倒れる彼の元まで光を繋ぐことは不可能であった。

光も音も遮断されたこの部屋で、彼は手と足の自由を奪われたまま、非力な己を呪う。

魔力は極卒によって封印され、魔力の媒体である魔石も奪われた彼に、成す術はない。

ただ、その監獄の扉が開かれるのを待つのみであった。



足音が、微かに聞こえるのを、初めは幻聴かと彼は思った。

しかし次第に大きくなる音を確認し、それが扉の前で止まると、極卒が来たのだと悟る。



鍵の開く音がすると、扉は、静かに、重々しく開いた。



「ご無沙汰ですね、僕のヴィルヘルム」

「・・・・・・」



起き上がる事もできない彼は極卒を強く睨みつけた。



「そう睨まないでください。・・・・・・まだ僕を好きになってはくれないのですね」

「無論だ。私を此処(ここ)から出せ。ならば考えてやる」

「それはできません。貴方を助けようとする別の暗殺者が貴方を連れて行ってしまう」



ヴィルヘルムはその言葉に反応する。



―――暗殺者。別の誰かが、この要塞へ私を助けに。でも、誰が?



「昨日の奴はあまりにうっとうしかったので僕自ら抑えに行ったのですが。・・・・・・黒髪の、黄色の瞳の彼、必死でしたよ。貴方の名ばかり呼ぶので、切り捨ててやりましたが、逃げられてしまいました」



黒髪の、黄色の瞳。ジャックだ。

ヴィルヘルムは確信する。



「ヴィルヘルムは僕のものなのに」



そう言うと極卒はヴィルヘルムの身体を少し抱き起こして、その両腕で彼を優しく包み、呟く。



「僕のヴィルヘルム。誰にも渡させやしません・・・・・・」



そのまま、極卒は彼に口付けた。

奪うような接吻を予期していた彼にとってそれは思いがけなく、優しく、甘い口付けだった。

そっと唇が離れると、極卒はヴィルヘルムに問う。



「・・・・・・ねえ、ヴィルヘルム。僕を愛してくれませんか。僕は愛がどんなものなのかがわからない。貴方をどう愛していいかわからない。でも、貴方を愛さないと貴方は僕から離れていく」



苦しそうに言葉を紡ぐ極卒の表情に彼は掛ける言葉が見つからなかった。



「僕は、どうすればいいのですか」



ヴィルヘルムの頬に、涙の粒が零れ落ちていた。彼の涙ではない。

極卒は、声もあげずに、涙だけ流していた。







帝国の独裁者の暗殺。

ヴィルヘルムがその任務を行なう上で集めた資料の中には、極卒は冷酷非道の人物と評されてい独裁政権を作り上げたその人物は、表情を持たず、人を生かすことも殺すことも厭(いと)わない。

国が栄える裏で、国民に演説を繰り返し、支配していく。





その独裁者が、彼の前で涙を流している。

人を愛する事が解らずに。



「・・・・・・極卒」



思わずその名を呼んでいた。

何故だかわからなかった。ただ、その表情に、驚いた。







「・・・・・・ル!ヴィル・・・・・・!」



聞き覚えのある声でヴィルヘルムは目を覚ました。



「よかった、ヴィル、大丈夫か!?」



その監獄には光が差していた。壁に大穴が空けられ、太陽光が彼らを照らし出す。

逆光と眩しさで姿ははっきり見ることができないが、声で判別することができた。



「・・・・・・ジャック、か?」

「ああ!ヴィル、早く出よう。ここはヤバイ。あいつが・・・・・・」

「極卒か・・・・・・」



ヴィルヘルムがそう呟くと同時に、監獄に足音が響く。

一定の歩調と靴の音。

それは極卒が来る予兆だった。

ジャックはヴィルヘルムに手を貸し、その体勢を整えた。

いつの間にかヴィルヘルムの自由を奪っていた拘束具は壊れていた。

光に目が慣れてくると、その光のもとへと二人は急ぐ。

壊れた壁の瓦礫から、外を一望したその時だった。



「行ってしまうのですね。ヴィルヘルム。」



監獄の扉は開かれていて、そこには極卒が武器を構えるわけでもなくたたずんでいた。

ジャックがヴィルヘルムを庇うように、前へ出る。



「・・・・・・安心なさい。僕は貴方達を見逃すことにしました」

「へえ、本当かよ」



極卒の言葉にジャックもヴィルヘルムも警戒を抱く。

頭痛はしていたが、ヴィルヘルムはいつでも応戦できるよう、魔力を右手に集めた。



「僕は嘘をつきませんよ。その証拠に・・・・・・」



極卒は軍服のポケットから大事そうに右手を出した。

そこに握られていたのは、ヴィルヘルムの魔力の媒体である、魔石。



「これをお返しします」

「あんた、馬鹿だろ?それじゃ自分を殺してくれと言ってるようなもんだぜ?」

「今の貴方達に僕は殺せませんよ。弱った人を虐める趣味はありませんからね」

「どうだか」



極卒は魔石を宙に投げる。

それはヴィルヘルムの手に吸い込まれるように、落ちてきた。



「・・・・・・早くお行きなさい。僕の兄様に見つかったら逃げるどころか殺されてしまいますよ?」

「どういうつもりだか知んねーけど、逃がしても後悔すんじゃねぇぞ」



ジャックはそう言うと警戒しながらも極卒に背を向け、ヴィルヘルムの腕を掴む。

ジャックに引っ張られながら、ヴィルヘルムは極卒のその表情が気になって仕方なかった。

何とも哀しげな表情だった。つらそうに、笑っている。

彼だって、人間なのだ、とヴィルヘルムは思った。



「ヴィルヘルム!」



彼らが背を向け、外へと行こうとする間際、極卒は言った。



「僕はあきらめませんよ。必ず貴方を愛し、そして愛されてみせます。たとえ貴方が敵であっても、貴方を奪いにいきます」



やれるもんならやってみろ、とジャックが小さく呟いた後、二人は外へと飛んだ。



極卒は、大穴のあいた監獄から、空を見上げながら、目を閉じ、言った。



「・・・・・・また逢いましょう。貴方を愛せる、その時まで」










―――――


あとがき


ゴールデンウィーク企画にさらしてきたブツです

今更、さらすのも恥ずかしいんですけど;
かと言って書き直すのはめんどくさいんで(←

なんかこの二人は甘いのが好きです。
あまりいちゃいちゃはしなくとも
でもいつもお互いに想い合っていると良いよ^^

07/05/05






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